日本歴史地名大系 「木幡村」の解説
木幡村
こはたむら
- 京都府:宇治市
- 木幡村
現宇治市の北部に位置する。北は宇治郡
「古事記」に応神天皇が淡海への行幸の途次「木幡村に到り坐しし時」和珥日触使主の娘矢河枝比売と会い、后としたという話がみえる。「万葉集」に
があり、この木旗・強田が木幡である。この地が宇治川渡河点から近江
古代の木幡は、近世の木幡村域のみならず、北は伏見山(桃山丘陵、現伏見区)をも含む広域の汎称であったとされ、山城国山科郷古図(彰考館旧蔵)には、村域の西北方、桃山丘陵南部と考えられる辺りに「木幡山・木幡堺・木幡堺西」の里名が記入されている。「三代実録」元慶六年(八八二)一二月二一日条にも「勅山城国(中略)紀伊郡芹川野・木幡野(中略)天長年中既禁従禽今重制断、山川之利藪沢之生与民共之莫妨農業云々」とあって、紀伊郡にまたがる地名であった。
木幡が現今のような狭域地名として定着するのは平安後期以後のことであったらしい。宇治郡条里の五条・六条、六里・七里付近を占める木幡村域は、現存する八―九世紀の数点の屋地売券(東大寺東南院文書)や、「和名抄」の記載から、宇治郡
木幡村
きばたむら
木幡村
きばたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報