浅木村(読み)あさぎむら

日本歴史地名大系 「浅木村」の解説

浅木村
あさぎむら

[現在地名]真正町浅木

政田まさだ村の東、国領こくりよう村の北に位置し、根尾ねお川東岸沿いの平坦地に立地。室町時代、美濃国衙領の本巣九郷内に浅木郷が成立。織豊期と推定される年欠二月二九日の下間頼廉書状(性顕寺文書)は、性顕しようけん(現安八郡神戸町)下の本願寺門徒中、浅木村に宛てられている。

関ヶ原の合戦で戦功を立てた小早川秀秋の家老平岡頼勝は、慶長九年(一六〇四)徳川家康から浅木村ほか一万石を宛行われた(濃飛両国通史)慶長郷帳に村名がみえ、高一二四石余。正保郷帳では徳野藩平岡領で、田方一二石余・畑方一一二石余。承応二年(一六五三)幕府領となり、享保二〇年(一七三五)から岩村藩領。

浅木村
あさぎむら

[現在地名]新城市浅谷あさや

須長すなが村の東北、出沢すざわ村との間の山間にある。近世を通じて旗本設楽家領であり、竹広たけひろ陣屋の支配下にあった。村内の白鳥しろとり神社は倭建尊を祀っていたが、明治四三年(一九一〇)谷下やげ村の八柱やはしら神社を合祀して浅谷神社と改称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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