浜井 信三
ハマイ シンゾウ
- 肩書
- 元・広島市長
- 生年月日
- 明治38年5月28日
- 出生地
- 広島県広島市三川町
- 学歴
- 東京帝大法学部〔昭和6年〕卒
- 経歴
- 昭和7年広島商工会議所に勤め、10年広島市職員となる。配給課長時代の20年8月6日、爆心から3キロの自宅で被爆した。被爆直後から被災者への食糧確保と救援に活躍。助役を経て、22年初代公選広島市長に当選。同年から8月6日に平和式典と慰霊祭を実行、平和宣言を発表する。平和と核兵器禁止を世界に訴えるとともに、24年には広島平和記念都市建設法を制定、平和公園を建設。またアメリカ、ソ連を訪問、原爆禁止を訴え、41年原爆被災のシンボル「原爆ドーム」の保存募金運動の先頭に立つた。42年に退職するまで途中1期を除いて通算4期16年広島市長を務めた。死去後の43年3月8日広島市民葬が行われた。著書に「原爆市長」がある。
- 没年月日
- 昭和43年2月26日
- 家族
- 息子=浜井 順三(大野石油店副社長)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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浜井 信三
ハマイ シンゾウ
昭和期の政治家 元・広島市長。
- 生年
- 明治38(1905)年5月28日
- 没年
- 昭和43(1968)年2月26日
- 出生地
- 広島県広島市三川町
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部〔昭和6年〕卒
- 経歴
- 昭和7年広島商工会議所に勤め、10年広島市職員となる。配給課長時代の20年8月6日、爆心から3キロの自宅で被爆した。被爆直後から被災者への食糧確保と救援に活躍。助役を経て、22年初代公選広島市長に当選。同年から8月6日に平和式典と慰霊祭を実行、平和宣言を発表する。平和と核兵器禁止を世界に訴えるとともに、24年には広島平和記念都市建設法を制定、平和公園を建設。またアメリカ、ソ連を訪問、原爆禁止を訴え、41年原爆被災のシンボル「原爆ドーム」の保存募金運動の先頭に立った。42年に退職するまで途中1期を除いて通算4期16年広島市長を務めた。死去後の43年3月8日広島市民葬が行われた。著書に「原爆市長」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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浜井信三 はまい-しんぞう
1905-1968 昭和時代後期の政治家。
明治38年5月28日生まれ。昭和20年広島市配給課長のとき被爆。22年公選による初代広島市長となり,毎年8月6日に平和式典と慰霊祭をおこない核兵器禁止をうったえる。25年平和記念公園を建設,41年原爆ドームの永久保存運動をおこした。昭和43年2月26日死去。62歳。広島県出身。東京帝大卒。著作に「原爆市長」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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浜井 信三 (はまい しんぞう)
生年月日:1905年5月28日
昭和時代の政治家。広島市長
1968年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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