原爆ドーム(読み)げんばくどーむ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「原爆ドーム」の意味・わかりやすい解説

原爆ドーム
げんばくどーむ

広島市中区の太田川河畔にある原爆被災を象徴する建物。旧広島県産業奨励館で、1945年(昭和20)8月6日、史上最初の原子爆弾はこの建物の南東50メートルの地点に落とされた。建物は1914年(大正3)に旧チェコスロバキアの建築家ヤン・レツルによって設計され、ドームがエキゾチックで印象的であった。原爆によりドームの鉄骨がむき出しになり、いつともなく原爆ドームとよばれるようになり、被爆都市広島のシンボル化した。その後ドームの風化が進み、市議会は1966年にドームの保存を決議した。当時の市長浜井信三は工事費の全額募金でまかなうこととし、市長自身も東京で街頭募金を行った。募金目標の4000万円に対し、全国から6600万円余が集まり、保存工事は1967年に完成した。1989年10月2回目の保存工事が開始され、翌年3月終了した。募金は目標額を大きく超える4億円余も集まった。1996年(平成8)には、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産)。

[北川建次]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原爆ドーム」の意味・わかりやすい解説

原爆ドーム
げんばくドーム

広島市中区にある被爆によって大破した建築物。チェコスロバキアのヤン・レツルが 1913~14年に設計し,広島県物産陳列館として建設され,のちに産業奨励館となる。ドームをもった印象的な建物であった。 1945年8月6日,史上初めての原子爆弾投下によって,その爆風と熱のためにドームの鉄骨がむき出しになった。その形から原爆ドームと呼ばれている。「悲惨な思いがよみがえる」として取り壊す案もあったが,1966年広島市議会は永久保存を決議した。保存工事費用は全額募金でまかなうこととし,当時の浜井信三市長が先頭になって街頭募金活動を行なった。保存工事は 1967年に完了。 1996年には「平和の象徴」として周囲の敷地 0.39haを含め世界遺産 (文化遺産) として登録された。

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