浜武村(読み)はまだけむら

日本歴史地名大系 「浜武村」の解説

浜武村
はまだけむら

[現在地名]柳川市西浜武にしはまたけ南浜武みなみはまたけ吉原よしはら

南西流する沖端おきのはた川の河口近くの右岸に沿って長く延びる村。三潴みづま郡に属する。南東古賀こが村、沖端川対岸は山門やまと鬼童おんどう村・正段島しようだんじま村など。嘉暦四年(一三二九)四月一六日の鎮西下知状(歴世古文書/鎌倉遺文三九)によると、筑後国酒見さけみ(現大川市)浄土寺雑掌快潤は、浜武三郎入道教円が「三潴庄浜武村武藤名」内の田地一二町一段・屋敷五ヵ所を同寺に永代寄付したにもかかわらず、押領していると訴えており、鎮西探題により寺家の知行が安堵されている。武藤たけふじ名は永仁四年(一二九六)一二月日付の玉垂宮并大善寺仏神事注文(御船文書/鎌倉遺文二五)によると、三潴庄鎮守大善だいぜん玉垂たまたれ(現久留米市)祭礼に際して村田楽および流鏑馬を勤める名であった。南北朝期のものとされる年未詳の三潴庄内所領坪付注文(詫摩文書/南北朝遺文(九州編)三)によると浜武の三分一にあたる三町五反は小野八郎左衛門尉の所領であった。天正一〇年(一五八二)正月一一日付の二通の龍造寺政家知行坪付(小城藩士佐嘉差出古文書写/佐賀県史料集成二六)では浜武三八町のうち諸藤もろふじ名・武藤名が岩松氏に宛行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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