浜田国太郎(読み)ハマダ クニタロウ

20世紀日本人名事典 「浜田国太郎」の解説

浜田 国太郎
ハマダ クニタロウ

明治〜昭和期の労働運動家 日本海員組合組合長。



生年
明治6年10月25日(1873年)

没年
昭和33(1958)年3月15日

出生地
愛媛県越智郡生名村

経歴
12歳から船員生活に入り、明治26年日本郵船入社、火夫長として各船を転乗。39年日本郵船の火夫長を糾合して機関部倶楽部を創立。のちに他社の船員にも呼びかけて組織を拡大し、日本船員同志会と改称して、明治45年のストライキに勝利。以後海上労働運動の指導者となり、大正3年友愛会に参加。9年ジェノバで催された第2回ILO総会に船員代表顧問として出席。帰国後船員団体の大同団結にのり出し、10年日本海員組合を創立し副組合長となり、昭和2年組合長に就任。10年組合長を辞任し、その後は宗教運動に関心を抱き、12年僧籍に入る。戦後青少年補導・教育につとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浜田国太郎」の解説

浜田国太郎 はまだ-くにたろう

1873-1958 明治-昭和時代前期の労働運動家。
明治6年10月25日生まれ。船員として日本郵船にはいる。明治39年船員労組としては初の機関部倶楽部(クラブ)を結成。のち日本船員同志会と改称し,45年日本最初の船員ストを指導。大正10年日本海員組合をつくり昭和2年組合長。昭和33年3月15日死去。84歳。愛媛県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浜田国太郎」の解説

浜田 国太郎 (はまだ くにたろう)

生年月日:1873年10月25日
明治時代-昭和時代の労働運動家。日本海員組合組合長
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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