浦上隆応(読み)ウラカミ リュウオウ

20世紀日本人名事典 「浦上隆応」の解説

浦上 隆応
ウラカミ リュウオウ

明治・大正期の僧侶 仁和寺門跡;御室派管長;真言宗大僧正。



生年
安政3年(1856年)

没年
大正15(1926)年11月10日

出生地
和泉国北泉郡横山村(大阪府)

経歴
明治3年高野山に入山し金蔵院通応について得度し、高幢竜暢伝法灌頂を受ける。6年光明院鑁瓊幢について報恩院流を受け、また一流伝授を受けた。8年竜善から初重二重三重を受法した。24年自性院において栄厳から授受、29年東京で雲照から初二三重を、栄秀からも相伝した。また旭雅から新安流の奥義を皆伝し広く野沢諸流を伝えた。大正4年泉涌寺で泉智等から随流を受けた。この間、高野山大学林、東寺総黌で教鞭を執り、目白僧園でも訓育し、真言宗学階の最高位に位した。また高野山で円通寺住職、横浜東福寺住職、無量寿院門首などを経て、9年御室派管長、京都仁和寺門跡、大僧正となる。14年高野・御室・大覚寺の三派合同古義真言宗が成立した際には、管長職を辞して門跡として教学に専念した。著書に「真言宗綱要」「般若心経帰一録」「仏教霊魂論」「事相口決」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦上隆応」の解説

浦上隆応 うらかみ-りゅうおう

1856-1926 明治-大正時代の僧。
安政3年生まれ。真言宗。高野山で高幢竜暢(たかはた-りゅうちょう)に灌頂(かんじょう)をうける。高野山大学林でおしえ,横浜東福寺住職,無量寿院門首などをへて,大正9年京都仁和寺の門跡(もんぜき)となった。大正15年11月10日死去。71歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身著作に「般若心経帰一録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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