浦佐村(読み)うらさむら

日本歴史地名大系 「浦佐村」の解説

浦佐村
うらさむら

[現在地名]大和町浦佐

魚野うおの左岸の河岸段丘と右岸八色原やいろがはらにまたがる。北は五箇ごか村、東は茗荷沢みようがさわ新田、南は右岸に鰕島えびじま新田、左岸に市野江いちのえ村、西は山地明神みようじん(現北魚沼郡堀之内町)近世には左岸沿いを走る三国街道の宿駅で、五日町いつかまち(現六日町)まで一里二八町、堀之内ほりのうち(現堀之内町)まで二里一八町。西方山麓の普光ふこう寺毘沙門堂の門前に形成された集落とみられる。承久三年(一二二一)一〇月三日の天王堂事務職補任状(普光寺文書)には「浦佐村天王堂」とみえ、さらに永徳二年(一三八二)一一月一三日の藤原清信等八名連署寄進状(同文書)に「浦佐保南方内田」とある。浦佐保に属し、かつ毘沙門堂を中心とした集落であったことがうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の株式の水準を示す、東京証券取引所第1部225銘柄の平均株価。単位は円。構成銘柄は時価総額の分布の変化などにより、適宜入れ替えられている。現在の形になったのは1985年5月からである。ダウ・ジョー...

日経平均株価の用語解説を読む