日本歴史地名大系 「浦底浦」の解説
浦底浦
うらそこうら
- 福井県:敦賀市
- 浦底浦
慶長三年八月の浦底浦御検地帳(浦底区有文書)では田・屋敷合三町五段八畝、うち田三町三段二畝・屋敷四畝・塩田二段四畝、分米合五一・五四石、このほか山手米三斗一升、網の銭一貫文、屋敷持一六軒。右の検地で色浜との村切がなされたが、色浜からの入作が一一石余を占め、田地のほかに山・海についても両浦は入会となっている。文禄四年(一五九五)一一月八日付色浜・浦底兼帯ニ付誓約状(色ヶ浜区有文書)に「浦底惣中」「刀禰」とみえるからすでに両浦は独立性を強くもっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報