海老瀬村
えびせむら
[現在地名]板倉町海老瀬
現板倉町東端に位置し、北は篠山村(現栃木県下都賀郡藤岡町)、東は旧渡良瀬川を隔てて内野村・下宮村(現藤岡町、旧谷中村)、南は谷田川を挟んで下五ヶ村・高鳥村、西は板倉沼を挟んで板倉村。大正一一年(一九二二)渡良瀬遊水池が完成する前は、渡良瀬川は当村北部の北集落と本郷集落の間を貫流し、東端は「海老瀬の七曲り」とよばれ、大きく曲流していた。東部の藤岡台地を除くと低地であり、かつて水害に悩まされた地域である。標高約一八メートルの谷田川の旧堤防の高さに土盛した上に建てた、水塚とよぶ水防建築や、水害時に使用する揚舟が設備されている。長禄四年(一四六〇)の足利義政感状写(御内書案)に、前年一〇月の海老瀬口ならびに羽継原(現館林市)での合戦が記される。
旧渡良瀬川の左岸に立地していた北集落は、かつて下野国都賀郡に属していた時は北海老瀬村といった。このことは薬師堂跡にある寛文六年(一六六六)建立の延命地蔵銘に「下野国都賀領海老瀬村」とあり、また延宝元年(一六七三)建立の四方仏銘に「下都賀郡北海老瀬村」とあることでわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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