日本大百科全書(ニッポニカ) 「安保氏」の意味・わかりやすい解説
安保氏
あぼうじ
鎌倉時代から戦国時代まで続いた武士の家系。「あんぽ」「あぶ」ともいう。武蔵七党(むさししちとう)のうち丹党(たんとう)に属し、武蔵国賀美(かみ)郡元阿保(もとあぼ)(埼玉県児玉郡神川町)を本貫(ほんがん)地とした。1184年(元暦1)一(いち)ノ谷(たに)の戦いに源氏方に参陣し活躍した安保次郎実光(さねみつ)が祖とされる。子孫は承久(じょうきゅう)の乱(1221)後の一時期播磨(はりま)国(兵庫県)守護(しゅご)ともなり、この系統は播磨須富庄(すとみのしょう)、陸奥(むつ)国鹿角(かづの)郡東根(ひがしね)などの所領を支配し、成田姓を名のった。1340年(興国1・暦応3)正月と8月の両度、惣領(そうりょう)安保光阿(こうあ)(光泰)は、嫡子泰規、二男直実(ただざね)、三男光経に本貫地をはじめ、播磨、信濃(しなの)(長野県)などの所領を譲与し、一族を分出させている。室町期には関東公方(かんとうくぼう)、古河(こが)公方に仕え、安保氏泰(うじやす)は有職故実(ゆうそくこじつ)の注釈安保流をつくる。戦国期には後北条(ごほうじょう)氏に属し、御嶽金鑽(みたけかなさな)城を支配したが、1569年(永禄12)以降没落した。
[伊藤一美]
『渡辺世祐・八代国治著『武蔵武士』復刻版(1971・有峰書店)』▽『永原慶二著『日本封建制成立過程の研究』(1961・岩波書店)』▽『伊藤一美著『武蔵武士団の一様態――安保氏の研究』(1981・文献出版)』