日本歴史地名大系 「淀師村」の解説 淀師村よどしむら 静岡県:富士宮市淀師村[現在地名]富士宮市淀師・淀平町(よどひらちよう)・淀川町(よどがわちよう)・中島町(なかじまちよう)・穂波町(ほなみちよう)大宮(おおみや)町の北西、青見(あおみ)村の東、潤井(うるい)川中流左岸の平地および緩丘に立地する。北部を南西流する風祭(かざまつり)川が潤井川に合流。西部は富士山の伏流水が多く湧出し、湧水を集める下(しも)川が西境付近を南流し潤井川に合流する。〔中世〕富士上方(ふじかみかた)のうち。淀志・淀士とも記され、淀師郷ともみえる。天文三年(一五三四)一一月七日の今川氏輝判物(井出孝史氏所蔵文書)によれば、今川氏輝は「富士上方淀志田之内弦巻田」をめぐる由比助四郎(光教)との相論に対し、父伊賀入道の代から三六年間所務してきているのを認めて弦巻(つるまき)田を井出神左衛門尉の領掌と認めている。永禄一一年(一五六八)と推定される二月二日の葛山氏元朱印状(市川文書)によれば、今川家の家臣葛山氏元は山田次郎右衛門の所領であった「淀士之内新四郎名」を市河(市川)権右衛門に与えている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by