深沢晟雄(読み)フカザワ マサオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「深沢晟雄」の解説

深沢 晟雄
フカザワ マサオ


専攻分野
医療福祉行政

肩書
元・沢内村(岩手県)村長

生年月日
明治38年12月11日

出生地
岩手県和賀郡沢内村

学歴
東北帝大法学部〔昭和6年〕卒

経歴
昭和6年以後、上海銀行、台湾総督府、満州拓殖公社、北支開発山東鉱業などに勤め敗戦。帰郷して農業従事したが、23年佐世保造船所に勤務、26年再び郷里で農業を営み、29年沢内村教育長、31年助役、32年5月村長に就任した。31年ごろから保健活動に関心を持ち、35年加藤邦夫医師を迎えて東北大内科、岩手医大小児科などの協力体制の下、医療行政を敷いた。32年から保健委員会、保健婦活動の推進、乳児死亡率半減計画を立て、雪道のブルドーザー開通など積極的行政を展開。33年には70歳以上の村民養老年金を支給、35年65歳以上の国保10割給付、36年から60歳以上と乳児に国保10割給付を実施した。37年には乳児死亡率も0になり、さらに出稼ぎ労働力を村へ戻すための耕地倍増政策などを推進し、寒村に行き届いた医療福祉行政を実施した。

没年月日
昭和41年1月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「深沢晟雄」の解説

深沢 晟雄
フカザワ マサオ

昭和期の行政家 元・沢内村(岩手県)村長。



生年
明治38(1905)年12月11日

没年
昭和41(1966)年1月28日

出生地
岩手県和賀郡沢内村

学歴〔年〕
東北帝大法学部〔昭和6年〕卒

経歴
昭和6年以後、上海銀行、台湾総督府、満州拓殖公社、北支開発山東鉱業などに勤め敗戦。帰郷して農業に従事したが、23年佐世保造船所に勤務、26年再び郷里で農業を営み、29年沢内村教育長、31年助役、32年5月村長に就任した。31年ごろから保健活動に関心を持ち、35年加藤邦夫医師を迎えて東北大内科、岩手医大小児科などの協力体制の下、医療行政を敷いた。32年から保健委員会、保健婦活動の推進、乳児死亡率半減計画を立て、雪道のブルドーザー開通など積極的行政を展開。33年には70歳以上の村民に養老年金を支給、35年65歳以上の国保10割給付、36年から60歳以上と乳児に国保10割給付を実施した。37年には乳児死亡率も0になり、さらに出稼ぎ労働力を村へ戻すための耕地倍増政策などを推進し、寒村に行き届いた医療福祉行政を実施した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「深沢晟雄」の解説

深沢晟雄 ふかざわ-まさお

1905-1966 昭和時代後期の村長。
明治38年12月11日生まれ。上海銀行,台湾総督府などにつとめ,戦後は故郷の岩手県沢内村にかえって農業に従事。教育長,助役をへて,昭和32年村長となる。医療福祉行政に力をそそぎ,菊地武雄著の「自分たちで生命を守った村」で紹介された。昭和41年1月28日死去。60歳。東北帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「深沢晟雄」の解説

深沢 晟雄 (ふかざわ まさお)

生年月日:1905年12月11日
昭和時代の地方自治体首長。沢内村(岩手県)村長
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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