日本大百科全書(ニッポニカ) 「清水誠」の意味・わかりやすい解説
清水誠
しみずまこと
(1846―1899)
日本のマッチ産業の創始者。金沢藩士で、1870年(明治3)藩のフランス留学生(廃藩後は文部省留学生)として渡仏。工芸学校に在学中、宮内次官吉井友美(1828―1891)と会ったことが契機でマッチ製造を志し、1875年に帰国、三田の吉井別邸を仮工場とし、黄燐マッチ(おうりんまっち)を製造販売、さらに政府の保護を受け、翌1876年、東京・本所柳原町(現、墨田区江東橋1丁目)に新工場を建て、新燧社(しんすいしゃ)と称した。安全な赤燐マッチの製造技術を習得するため、1878年再度渡欧し、スイスの工場などを視察、成果を得て帰国した。1880年には国産品だけで需要を満たすまでに発展した。
[菊池俊彦]