吉井友実(読み)ヨシイ トモザネ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「吉井友実」の解説

吉井 友実
ヨシイ トモザネ


肩書
枢密顧問官

別名
通称=仁左衛門 仲助 幸輔

生年月日
文政11年2月(1828年)

出生地
薩摩国(鹿児島県)

経歴
安政3年藩の財務官として大阪に出て諸国の有司志士と交流。6年誠忠組に参加して国事に奔走、文久2年藩政改革により、徒目付役に。3年島津久光に従って上洛、勅使大原重徳の東下に際し、山科兵部と名を改め、その従士として江戸に赴いた。明治元年徴士、参与、軍務局判事を務め、のち司法、民部、工部、宮内各省要職歴任。8年元老院議官となる。14年日本国有鉄道会社のを創立と共に社長に就任。17年再び宮内次官となって伯爵を授けられた。21年4月枢密顧問官を兼任。24年枢密顧問官専任となる。

没年月日
明治24年4月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「吉井友実」の意味・わかりやすい解説

吉井友実 (よしいともざね)
生没年:1828-91(文政11-明治24)

維新の志士,明治の政治家。通称仁左衛門,のち幸輔。薩摩藩士の子として鹿児島に生まれた。西郷隆盛大久保利通と同世代だが,政治的には彼らに随従して維新の動乱をくぐりぬけ,明治政府でも次官クラスの仕事が長い。西郷の賊名をそそぐことに熱心で同憂勝海舟親交を結ぶ。憲法発布前後の時期の宮内次官として,薩長間や旧幕臣との調整に努めた。枢密顧問官。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉井友実」の解説

吉井友実 よしい-ともざね

1828-1891 幕末-明治時代武士,官僚
文政11年2月26日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。西郷隆盛,大久保利通と親交があり,安政3年大坂藩邸の留守居となり諸国の尊攘(そんじょう)運動家とまじわる。維新後は司法,民部,宮内など各省をへて,明治15年日本鉄道社長。元老院議官,枢密顧問官。明治24年4月22日死去。64歳。通称は仁左衛門,幸輔。変名は山科兵部。

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367日誕生日大事典 「吉井友実」の解説

吉井 友実 (よしい ともざね)

生年月日:1828年2月26日
江戸時代;明治時代の鹿児島藩士;政治家。枢密顧問官;日本鉄道社長
1891年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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