清水釘吉(読み)シミズ テイキチ

20世紀日本人名事典 「清水釘吉」の解説

清水 釘吉
シミズ テイキチ

大正・昭和期の実業家 清水組社長



生年
慶応3年11月10日(1867年)

没年
昭和23(1948)年9月7日

出生地
江戸

旧姓(旧名)
小野

学歴〔年〕
東京帝大工学部造家学科〔明治24年〕卒

主な受賞名〔年〕
エトアル・コマンドルノアル勲章〔昭和11年〕

経歴
清水建設の創業者。在学中に第一銀行大阪支店を設計。建築業の清水店(現・清水建設)3代目当主満之助の長女タケと結婚。清水家に入り、分家創設、4代目満之助の後見人となる。日清、日露戦争従軍し、この間欧米を視察。明治42年石川島造船所取締役にも就任した。明治天皇の青山大葬場殿、大正天皇の新宿御苑葬場、関西日仏会館建設などを手がけ実績を重ねる。大正4年合資会社、昭和12年株式会社清水組とし、大手建設会社に発展させた。営業監督、店長を経て、15年まで社長。また大正11年より日本土木建築請負業者連合会会長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水釘吉」の解説

清水釘吉 しみず-ていきち

1867-1948 大正-昭和時代前期の実業家。
慶応3年11月10日生まれ。建築業の清水組(現清水建設)3代清水満之助の婿養子となり,分家。明治天皇の青山大葬場殿,大正天皇の新宿御苑葬場,関西日仏会館の建設を手がける。昭和15年まで社長をつとめ,会社発展の基礎をきずいた。昭和23年9月7日死去。82歳。江戸出身。帝国大学卒。旧姓は小野。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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