清陵(読み)しんりょう(その他表記)Qīng líng

改訂新版 世界大百科事典 「清陵」の意味・わかりやすい解説

清陵 (しんりょう)
Qīng líng

清朝歴代皇帝の陵墓群で,東陵と西陵にわかれる。東陵は北京市の北東約125kmの河北省遵化県馬蘭峪付近にあり,孝陵(順治帝),景陵(康煕帝),裕陵(乾隆帝),定陵咸豊帝),恵陵(同治帝)のほか,后陵4座,妃園寝5座を含み,皇帝5人,皇后15人,妃子136人を葬る。西陵は北京市の南西約120kmの河北省易県梁各庄にあり,泰陵(雍正帝),昌陵(嘉慶帝),慕陵(道光帝),崇陵(光緒帝)のほか,后陵3座,妃園寝4座を含み,皇帝4人,皇后9人,妃子27人を葬る。清陵は秦代以来の陵寝制度の発展の頂点に位置し,各陵は規模こそ相違するものの,ほぼ同じ構造をもって造営されている。すなわち,南から北に向かう中軸線上に,隆恩門,隆恩殿,琉璃門,方城,明楼などの建物がならび,明楼のうしろに前方後円の宝頂(土もり)が設けられ,宝頂の真下が地下宮殿となり,そこに棺柩が安置されている。また,帝后陵には黄琉璃瓦が,妃園寝には緑琉璃瓦が使用されている。建造物についてみると,孝陵と泰陵とにその数が多く,概して東陵の各陵が西陵よりやや立派であるが,いずれもみごとなものである。そのため,しばしば略奪の対象となり,高価な副葬品が内外に流出した。20世紀に入って清朝の勢力が衰えると,帝国主義諸国とその軍隊は地上の宝物を奪い,清朝滅亡後には,封建軍閥による大規模な盗掘が行われた。とくに1928年7月に孫殿英が行った裕陵と普陀峪定東陵(西太后)の盗掘は有名である。崇陵もまた38年に,地元の住民による数次の盗掘をうけた。しかし人民共和国の成立後,56年9月,清陵は河北省重点文物保護単位に指定され,ついで61年には全国重点文物保護単位に昇格して,国家の保護をうけ,修復作業がすすんでいる。80年5月には,崇陵の学術調査が行われ,裕陵と定東陵は外国人にも公開されている。なお,清陵としては,以上のほかに,福陵(太祖)と昭陵(太宗)の2陵が,ともに瀋陽市内にある。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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