ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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中国、唐の太宗の陵。陝西(せんせい/シャンシー)省醴泉(れいせん)県県城の北東25キロメートルの九山(きゅうそうざん)にある。太宗存命中の637年(貞観11)2月起工、639年完成。10年後崩御して埋葬ののち、工事のため山頂近くの断崖(だんがい)につくった桟道は、盗掘を恐れて取り去られたというが、『五代史記』に盗掘の記録がある。高くそびえる九
山の山麓(さんろく)には、太宗の娘や功臣たちの陪冢(ばいちょう)が多数並び、近年これが発掘されている。陰山をかたどったという三山形式の名将李勣(りせき)の墓地には、昭陵博物館が設けられ、ここに多くの石碑や墓誌石や明器(めいき)などが集められている。また昭陵の北門には、太宗の愛馬、六駿(ろくしゅん)(特勒驃(とくろくひょう)、青騅(せいすい)、什伐赤(じゅうばつせき)、颯露紫(さつろし)、拳毛
(けんもうか)、白蹄烏(はくていう))の石像が置かれていた。颯露紫と拳毛
の2石像は清(しん)末にアメリカに持ち去られたが、他の4石像は現在、西安(せいあん/シーアン)の陝西省博物館にある。
[吉村 怜]
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[唐~清]
唐の陵墓は最後の昭宗和陵を除く18陵がすべて渭水の北にあり,関中十八陵と称する。初代高祖献陵は平地に築かれ高さ約15m,一辺100m前後の方錐形であるが,太宗昭陵は墳丘を築かず九嵕山(きゆうそうざん)の山腹に墓坑をうがち山上陵とし,唐代帝陵の制とした。高宗と則天武后の乾陵では山をめぐって牆壁が築かれ,四方に門があり石獅子がおかれた。…
※「昭陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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