コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

昭陵 しょうりょうZhao-ling

4件 の用語解説(昭陵の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

昭陵
しょうりょう
Zhao-ling

中国,陝西省礼泉県の九そう山にある唐の太宗 (在位 626~649) の陵墓。高さ約 15m,基部は方形で上部は円錐形。多くの建造物や墓前の石人石獣などは大部分失われているが,正殿前方の配殿に3石ずつはめこまれていた六駿馬の浮彫板石 (昭陵六駿) が有名。これは太宗遺愛の名馬6頭を1石に刻んだもので,唐代芸術の傑作といわれる。なお,太宗が山上に陵を築いてからはそれが例となり,代々の帝陵が山上に造営され,特に石人石獣などを並べることが盛んになった。またそれらを有効に配置して,陵の威容を発揮できるような敷地を選ぶための風水説という地相をみる学問が発達した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

昭陵【しょうりょう】

中国,陝西省醴泉県の北東30kmの九【そう】(きゅうそう)山にある唐の太宗李世民と文徳皇后の陵墓。南に断崖,北に緩傾斜をもつ要害の地に玄室をつくり棺を納めたという。
→関連項目寿陵石人石獣

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

しょうりょう【昭陵 Zhāo líng】

中国,唐の太宗李世民(在位626‐49)と文徳皇后長孫氏の合葬陵。636年(貞観10)に長孫皇后を葬ってから太宗の崩御する649年まで,13年を費やして造営した。渭河北岸で渭河平原見下ろす丘陵地帯,陝西省礼泉県の北東約24kmにある九嵕(くそう)山にある。陵は丘陵のなかでひときわそびえる標高1188mの主峰を利用する。記録によると,南西に深さ75丈(約250m)をうがって玄宮(墓室)をつくり,険しい絶壁に設けられた桟道を通らねば墓門に達することができなかったという(《唐会要》巻20)。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

昭陵
しょうりょう

中国、唐の太宗の陵。陝西(せんせい/シャンシー)省醴泉(れいせん)県県城の北東25キロメートルの九(きゅうそうざん)にある。太宗存命中の637年(貞観11)2月起工、639年完成。10年後崩御して埋葬ののち、工事のため山頂近くの断崖(だんがい)につくった桟道は、盗掘を恐れて取り去られたというが、『五代史記』に盗掘の記録がある。高くそびえる九山の山麓(さんろく)には、太宗の娘や功臣たちの陪冢(ばいちょう)が多数並び、近年これが発掘されている。陰山をかたどったという三山形式の名将李勣(りせき)の墓地には、昭陵博物館が設けられ、ここに多くの石碑や墓誌石や明器(めいき)などが集められている。また昭陵の北門には、太宗の愛馬、六駿(ろくしゅん)(特勒驃(とくろくひょう)、青騅(せいすい)、什伐赤(じゅうばつせき)、颯露紫(さつろし)、拳毛(けんもうか)、白蹄烏(はくていう))の石像が置かれていた。颯露紫と拳毛の2石像は清(しん)末にアメリカに持ち去られたが、他の4石像は現在、西安(せいあん/シーアン)の陝西省博物館にある。[吉村 怜]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の昭陵の言及

【陵墓】より


[唐~清]
 唐の陵墓は最後の昭宗和陵を除く18陵がすべて渭水の北にあり,関中十八陵と称する。初代高祖献陵は平地に築かれ高さ約15m,一辺100m前後の方錐形であるが,太宗昭陵は墳丘を築かず九嵕山(きゆうそうざん)の山腹に墓坑をうがち山上陵とし,唐代帝陵の制とした。高宗と則天武后の乾陵では山をめぐって牆壁が築かれ,四方に門があり石獅子がおかれた。…

※「昭陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

エンゲルの法則

家計の総消費支出に占める飲食費の割合 (エンゲル係数 Engel coefficientと呼ぶ) は,所得水準が高く,したがって総消費支出が大きいほど低下するというもの。エンゲル係数は国民の消費生活面...

続きを読む

コトバンク for iPhone

昭陵の関連情報