朝日日本歴史人物事典 「渋井太室」の解説
渋井太室
生年:享保5.9(1720)
江戸中期の漢学者。下総(千葉県)佐倉の人。名は孝徳,字は子章,通称は平左衛門,太室と号す。父重之は林大学頭に仕えていた。14歳で江戸に赴き,林家に入門,塾長であった井上蘭台に師事する。24歳で,佐倉藩主堀田正亮の侍読となり,藩政を助けて信頼が厚く,のちに上大夫に昇り200石を給せられた。朱子学を中心に据えながらも寛容な学風で,佐倉藩の文教に力を注ぎ,教育者としての功績に優れたものを遺す。主著である徳川の通史『国史』は,20年の間に5度の改稿を重ね,当時の人々にたいへん重用された。<著作>『読書会意』
(高橋昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報