渡口村(読み)とうぐちむら

日本歴史地名大系 「渡口村」の解説

渡口村
とうぐちむら

[現在地名]中城渡口とぐち

和仁屋わな村の北にあり、東は中城なかぐすく湾に面する。北は美里んざとう間切与儀ゆーじ(現沖縄市)。トゥグチとよばれる。地名はかつて入江があり、湊があったことによるという。大屋門中の先祖村立てを行い、越来按司の末裔にあたる宮城門中が一六七〇年に現住地へ移ったと伝える。絵図郷村帳に戸口村とみえる。琉球国高究帳では宮城なーぐしく村と併記され、高頭八九石余、うち田七一石余・畠一八石余。宮城村は「琉球国旧記」には村名が記されてはいるものの、「琉球国由来記」「琉球藩雑記」などにはみえない。「南島風土記」は渡口村に併合されたとするが、村の位置や併合の時期など詳細ははっきりしない。


渡口村
とうぐちむら

[現在地名]石川石川いしかわ

トゥグチとよばれる。初め石川いしかわ川のンナトゥ近くにあり、渡口アタイとよばれた(石川市史)。絵図郷村帳、「琉球国由来記」などに村名はみえない。尚質王一九年(一六六六)越来ぐいーく間切より美里んざとう間切が分れたのち越来間切に新設された五ヵ村の一つとされる(「球陽」同年条、「南島風土記」)。康熙一一年(一六七二)検官が派遣されて越来間切と美里間切の境界を正し、当村など五ヵ村は美里間切に改めて編入された(「球陽」尚貞王四年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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