朝日日本歴史人物事典 「渡辺一」の解説
渡辺一
生年:明和4(1767)
江戸後期の和算家。通称治右衛門,字は貫卿,東岳と号した。俳号は西河。陸奥国信夫郡(福島県)土湯生まれ。19歳のとき,須永通屋に学び,会田安明と土湯で会い,31歳まで江戸で安明に師事。寛政9(1797)年二本松藩に召し出され,文政2(1819)年20石,12年65石を給せられ,二本松で最上流和算を盛んにした。多数の著述があるが,『算法身之加減』は復刻されている。師の安明との交際は密で,安明に送った手紙を集めた「渡辺文書」はこのことをよく表している。さらに,文政2年会田の3回忌に江戸浅草観音境内に記念の算子塚を建てたとき,碑前に捧げた題術3題などを集めたのが『謹薦算法』(1819)である。
(道脇義正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報