渡辺氏屋敷跡(読み)わたなべしやしきあと

日本歴史地名大系 「渡辺氏屋敷跡」の解説

渡辺氏屋敷跡
わたなべしやしきあと

[現在地名]鯖江市神明町四丁目

鳥羽野とばの開発奉行を勤めた渡辺牛兵衛長久(禄五〇〇石)の屋敷跡で、旧北陸街道東側の字御館おたち堀端ほりばたにあたる。明治初年の地籍図によると、東西約五五メートル、南北約六〇メートルの館第を幅一〇メートル前後の土居と堀がめぐっている。「越前国城蹟考」は「右牛兵衛屋敷跡往昔備後守地歟」と記し、当屋敷跡を朝倉氏時代の魚住備後守景固の鳥羽館跡かともしている。魚住氏は播州明石あかし魚住うおずみ(現兵庫県明石市)の国人で赤松氏の被官であったが、嘉吉の変後、朝倉孝景臣従して越前に移った。その子孫が魚住景固で、奉行をも勤める重臣であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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