渡辺治(読み)ワタナベ オサム

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「渡辺治」の解説

渡辺 治
ワタナベ オサム


肩書
衆院議員(無所属),大阪毎日新聞社長

別名
字=台水

生年月日
安政3年2月(1856年)

出生地
常陸国水戸(茨城県)

学歴
慶応義塾修了

経歴
時事新報記者となり、のち今日新聞を買収都新聞と改称して経営。明治22年大阪毎日新聞主筆となり、23年株式会社に改組して取締役、さらに社長となり、経営難の同紙を本山彦一らと更生した。23年茨城県から衆院議員に当選1回。

没年月日
明治26年10月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺治」の解説

渡辺治 わたなべ-おさむ

1864-1893 明治時代の新聞経営者,政治家
元治(げんじ)元年2月生まれ。時事新報にはいり,のち都新聞を経営する。明治22年大阪毎日新聞に主筆としてまねかれる。23年衆議院議員に当選。同年大阪毎日新聞社長となる。東京の朝野新聞社を買収し,社長をかねた。明治26年10月15日死去。30歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。慶応義塾卒。号は台水。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の渡辺治の言及

【毎日新聞】より

…85年《大阪日報》に題号を戻し,いったん休刊の後,88年11月大阪実業界の支援により《大阪毎日新聞》として再発足した。当初は大同団結運動支持の柴四朗(東海散士)主筆の下で政治色が強かったが経営上は振るわず,89年からは本山彦一相談役と渡辺治(1864‐93)社長兼主筆の指導の下に穏和な論調の紙面作りと広告収入の増加で発展し,《大阪朝日新聞》と並ぶ阪神地方の有力紙となった。97年から原敬,1900年から小松原英太郎(1852‐1919)が社長を務め,とくに原は紙面の平易化,家庭面,海外通信の拡充に努めた。…

※「渡辺治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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