日本歴史地名大系 「渡部家住宅」の解説 渡部家住宅わたなべけじゆうたく 愛媛県:松山市重信川南岸地域(旧下浮穴郡の一部)東方村渡部家住宅[現在地名]松山市東方町幕末期の東方(ひがしがた)村庄屋渡部氏の居宅。重要文化財。もと渡部家は南方(みなみがた)村(現温泉郡川内町)に居住し、寛文年間(一六六一―七三)からその名を知られた。三郎兵衛長綱が分家して東方村に入庄屋となった。彼は万延元年(一八六〇)に住宅の建築に着手し、慶応二年(一八六六)に落成した(同家棟札)。敷地の南側に庇二階付きの長屋門があり、東に白壁造の米倉および倉がある。その内側に主屋を配置し、周囲を土塀で囲っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
デジタル大辞泉プラス 「渡部家住宅」の解説 渡部家住宅 愛媛県松山市にある住宅。渡部家は江戸時代の豪農。主屋、表門などが国の重要文化財に指定されている。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報 Sponserd by