渡部家住宅(読み)わたなべけじゆうたく

日本歴史地名大系 「渡部家住宅」の解説

渡部家住宅
わたなべけじゆうたく

[現在地名]松山市東方町

幕末期の東方ひがしがた村庄屋渡部氏の居宅。重要文化財。もと渡部家は南方みなみがた(現温泉郡川内町)に居住し、寛文年間(一六六一―七三)からその名を知られた。三郎兵衛長綱が分家して東方村に入庄屋となった。彼は万延元年(一八六〇)に住宅の建築に着手し、慶応二年(一八六六)に落成した(同家棟札)

敷地の南側に庇二階付きの長屋門があり、東に白壁造の米倉および倉がある。その内側に主屋を配置し、周囲を土塀で囲っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む