日本歴史地名大系 「温湯城跡」の解説
温湯城跡
ぬくゆじようあと
、此時宮将軍御取合有、将軍方として軍功有之」と記されるが、いずれも根拠不明である。ただし小笠原氏が河本郷の地頭として明確に現れるのは南北朝期であることから(建武四年七月二六日「小笠原貞宗代桑原家兼軍忠状」庵原家文書など)、築城をこの時期とすることも可能であろう。永和二年(一三七六)七月二四日の細川頼之感状(同文書)によると、「石州河本城衆」としての武田修理亮の軍忠が賞せられているが、河本城は当城のことと推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報