20世紀日本人名事典 「湊守篤」の解説
湊 守篤
ミナト モリアツ
昭和期の金融・証券業経営者 日興リサーチセンター社長。
- 生年
- 明治41(1908)年11月9日
- 没年
- 昭和47(1972)年8月21日
- 出生地
- 中国・長春
- 学歴〔年〕
- 東京帝大経済学部〔昭和6年〕卒
- 経歴
- 東大では大内兵衛教授にマルクス経済学を学び、卒業後は日本興業銀行に入社、戦後一時復興金融金庫に出向して融資第一部長、石炭融資部長などを務め、戦後の日本経済復興に尽力。昭和36年、常務のとき興銀を退社して日興証券に副社長として入社、39年社長に就任したが、45年には日興リサーチセンター社長に転じた。この間、財界にあっては経済同友会副幹事として木川田一隆代表幹事に協力、42年には首相の諮問機関である経済審議会の企画小委員会代表として「経済社会発展計画」をまとめている。その一方では財界エコノミストとして池田内閣の高度経済成長策に対して「安定成長論」「自主調整による不況回避」を提唱、高度成長を謳歌する官庁エコノミストや近代経済学者と激しく論争した。第1次オイルショックが発生したのは死去の翌年のこと。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報