湯達沢新田村(読み)ゆださわしんでんむら

日本歴史地名大系 「湯達沢新田村」の解説

湯達沢新田村
ゆださわしんでんむら

[現在地名]猪苗代町磐根いわね

土田はにた新田村の北東、磐梯山の南西麓に位置し、北方一帯は磨上すりあげ原の原野が広がる。川西組に属し、湯田沢とも記した。肥前佐賀の住人佐賀美濃守の後裔で上杉謙信に仕えた兵部大輔(朝清軒)の子善七郎が慶長一六年(一六一一)に開いた新田村という。善七郎は会津に来て蒲生秀行に仕え、当初は半在家はんざいけ(現熱塩加納村)などで二〇〇石を領していたが、のち「河沼郡北高野村」に居を構え、その後当地に移り、新田高四六石余を開いたという(「新編会津風土記」「猪苗代郷土誌稿」など)。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」に村名が載る。文化一五年(一八一八)の村日記では湯田新田とみえるが、高は記されていない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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