コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

満良親王 みつよししんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

満良親王 みつよししんのう

?-? 南北朝時代,後醍醐(ごだいご)天皇の皇子。
母は藤原親子。事績は不詳。暦応(りゃくおう)3=延元5年(1340)土佐で南朝方の大高坂(おおだかさ)松王丸を救援した花園宮,観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年(1351)ごろ周防(すおう)で令旨(りょうじ)を発した常陸(ひたち)親王と同一人と推定されている。名は「みつなが」ともよむ。

満良親王 みつながしんのう

みつよししんのう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典内の満良親王の言及

【土佐国】より

…しかし,この年の10月に京都では南北朝一時の和議が整ったことによるのか,土佐もおおむね静謐で,その後3年,1339年(延元4∥暦応2)の暮れから翌年正月にかけて,再び大高坂城攻防戦が行われ,激戦ののち,城は陥落する。南軍は後醍醐天皇の皇子花園宮(満良親王)を戴く新田,金沢,近藤,河間,佐川,度賀野,有井の諸氏と大高坂松王丸,北軍は土佐守護細川皇海(細川定禅とする通説は誤り)を将とする津野,堅田,三宮,佐竹などの諸氏である。以後,南軍の勢力は急速に衰え,41年(興国2∥暦応4)11月,最御崎寺の利生塔(りしようとう)建立は足利氏の土佐制圧の宣言といえる。…

※「満良親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

満良親王の関連キーワード南北朝時代

今日のキーワード

天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android