精選版 日本国語大辞典 「源宗于」の意味・読み・例文・類語 みなもと‐の‐むねゆき【源宗于】 平安時代の歌人。光孝源氏。是忠親王の子。右京大夫四位下。三十六歌仙の一人。家集「宗于集」。「古今集」に六首、「後撰集」に三首、「新勅撰集」以下に六首入集。天慶二年(九三九)没。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「源宗于」の解説 源宗于 没年:天慶2.11.22,23(940.1.4,5) 生年:生年不詳 平安時代の歌人。三十六歌仙のひとり。光孝天皇の孫,是忠親王の子。寛平6(894)年,従四位下となり,源姓を賜り臣籍に下る。諸国の守などを歴任し,正四位下右京大夫に至る。官途には恵まれず,『大和物語』にはその不遇を嘆く話などがみられる。 寛平御時后宮歌合以下6度の歌合に出詠し,『古今集』以下の勅撰集に15首入集。家集に『宗于集』(その歌は9首であとは他人の歌)があり,紀貫之との贈答歌が含まれている。「山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと思へば」(『古今集』)の歌が,百人一首に採られている。 (浅見緑) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源宗于」の解説 源宗于 みなもとの-むねゆき ?-940* 平安時代中期の官吏,歌人。是忠親王の王子。光孝天皇の孫。源姓をあたえられ,臣籍にはいる。正四位下,右京大夫。三十六歌仙のひとりで,歌は「古今和歌集」以下の勅撰集に15首はいっている。天慶(てんぎょう)2年11月23日死去。家集に「宗于集」。【格言など】山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば(「小倉百人一首」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例