三十六歌仙(読み)サンジュウロッカセン

デジタル大辞泉 「三十六歌仙」の意味・読み・例文・類語

さんじゅうろっ‐かせん〔サンジフロク‐〕【三十六歌仙】

藤原公任ふじわらのきんとうの「三十六人撰」に基づく36人のすぐれた歌人柿本人麻呂大伴家持山部赤人猿丸大夫紀貫之壬生忠岑みぶのただみね在原業平素性そせい法師・坂上是則さかのうえのこれのり藤原興風ふじわらのおきかぜ源重之大中臣頼基おおなかとみのよりもと源公忠みなもとのきんただ・藤原朝忠・源順みなもとのしたごう平兼盛小大君こだいのきみ中務なかつかさ藤原元真ふじわらのもとざね・僧正遍昭へんじょう小野小町紀友則凡河内躬恒おおしこうちのみつね伊勢藤原敏行藤原兼輔源宗于みなもとのむねゆき斎宮女御さいぐうのにょうご藤原敦忠藤原高光源信明みなもとのさねあきら清原元輔大中臣能宣おおなかとみのよしのぶ・藤原仲文・藤原清正壬生忠見みぶのただみ。なお、これにならって、中古三十六歌仙・新三十六歌仙などもある。

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精選版 日本国語大辞典 「三十六歌仙」の意味・読み・例文・類語

さんじゅうろっ‐かせん サンジフロク‥【三十六歌仙】

三六人のすぐれた歌人の呼称。柿本人麻呂・紀貫之・凡河内躬恒・伊勢・大伴家持・山部赤人・在原業平・僧正遍昭素性法師・紀友則・猿丸太夫・小野小町・藤原兼輔・藤原朝忠・藤原敦忠・藤原高光・源公忠・壬生忠岑・斎宮女御・大中臣頼基・藤原敏行・源重之・源宗于源信明・藤原仲文・大中臣能宣・壬生忠見・平兼盛・藤原清正・源順・藤原興風・清原元輔・坂上是則・藤原元真・小大君・中務をいう。平安時代中期の歌学者藤原公任が選んだもの。その後も、後六六撰、中古三十六歌仙などこれにならったものが多く、三十六人集歌仙絵など文学史や文化史の上で大きな位置を占めている。三十六人歌仙。〔書言字考節用集(1717)〕

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百科事典マイペディア 「三十六歌仙」の意味・わかりやすい解説

三十六歌仙【さんじゅうろっかせん】

平安中期,藤原公任の編んだ歌合形式の秀歌撰《三十六人撰》に基づく36人の主要歌人のこと。柿本人麻呂紀貫之凡河内躬恒伊勢大伴家持山部赤人在原業平,僧正遍昭素性法師,紀友則,猿丸大夫,小野小町,藤原兼輔,藤原朝忠,藤原敦忠,藤原高光,源公忠,壬生忠岑斎宮女御大中臣(おおなかとみ)頼基,藤原敏行,源重之,源宗于(むねゆき),源信明,藤原清正,源順,藤原興風,清原元輔,坂上是則,藤原元真,小大君,藤原仲文,大中臣能宣,壬生忠見,平兼盛,中務。以後,36人の代表的歌人の歌合という形式はひとつの定型となり,《中古三十六歌仙》《女房三十六歌仙》などが生み出されている。→六歌仙三十六人集
→関連項目絵馬歌仙三十六歌仙絵巻私家集多武峯少将物語能因紫式部

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三十六歌仙」の意味・わかりやすい解説

三十六歌仙
さんじゅうろっかせん

藤原公任(きんとう)(966―1041)の『三十六人撰(せん)』に選ばれている、柿本人麿(かきのもとのひとまろ)、紀貫之(きのつらゆき)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、伊勢(いせ)、大伴家持(おおとものやかもち)、山部赤人(やまべのあかひと)、在原業平(ありわらのなりひら)、遍昭(へんじょう)、素性(そせい)、紀友則(とものり)、猿丸大夫(さるまるだゆう)、小野小町(おののこまち)、藤原兼輔(かねすけ)、藤原朝忠(あさただ)、藤原敦忠(あつただ)、藤原高光(たかみつ)、源公忠(きんただ)、壬生忠岑(みぶのただみね)、斎宮女御(さいくうのにょうご)、大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)、藤原敏行(としゆき)、源重之(しげゆき)、源宗于(むねゆき)、源信明(さねあきら)、藤原清正(きよただ)、源順(したごう)、藤原興風(おきかぜ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、坂上是則(さかのうえのこれのり)、藤原元真(もとざね)、小大君(こおおぎみ/こだいのきみ)、藤原仲文(なかぶみ)、大中臣能宣(よしのぶ)、壬生忠見(ただみ)、平兼盛(かねもり)、中務(なかつかさ)の36歌人に対する呼称。うち人麿、家持、赤人が万葉歌人、以下が公任時代以前の平安歌人である。『三十六人撰』は、公任と具平(ともひら)親王(964―1009)の貫之・人麿優劣論に端を発した、具平親王『三十人撰』を発展させたもので、それにある清原深養父(ふかやぶ)を除き、赤人、猿丸大夫、高光、斎宮女御、頼基、宗于、元真を加え、人麿―貫之、躬恒―伊勢各10首、遍昭―業平以下各3首、兼盛―中務各10首を、それぞれ相対させて番(つが)えた150首からなる秀歌選である。この三十六歌仙の家集を類聚したのが『三十六人集』(『歌仙家集』とも)、その略伝を漢文体で記したのが『三十六人歌仙伝』(平安後期成立)である。三十六歌仙は歌仙形式の典型として定着し、『新三十六人』(平安後期。散逸)、『後六六(のちのろくろく)撰』(藤原範兼(のりかね)。平安後期)、『女房三十六歌仙』(鎌倉時代)、『釈教三十六歌仙』(南北朝時代)などがつくられた。

[杉谷寿郎]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三十六歌仙」の意味・わかりやすい解説

三十六歌仙
さんじゅうろっかせん

すぐれた歌聖として崇拝された 36人の歌人の総称。藤原公任 (きんとう) 編の秀歌撰『三十六人撰』に選ばれた歌人で,柿本人麻呂,山部赤人,大伴家持 (やかもち) ら万葉歌人,猿丸大夫,在原業平 (ありわらのなりひら) ,小野小町 (おののこまち) ,僧正遍昭 (へんじょう) ,藤原敏行,紀友則,素性 (そせい) 法師,藤原興風 (おきかぜ) ,凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) ,坂上是則 (これのり) ,藤原兼輔 (かねすけ) ,源宗于 (むねゆき) ,伊勢,紀貫之,壬生忠岑 (みぶのただみね) ら六歌仙や『古今集』時代の歌人,藤原敦忠 (あつただ) ,源公忠 (きんただ) ,藤原清正 (きよただ) ,大中臣頼基 (おおなかとみのよりもと) ,壬生忠見,源信明 (さねあきら) ,藤原朝忠,藤原元真 (もとざね) ,源順 (したごう) ,中務 (なかつかさ) ,斎宮女御 (さいぐうのにょうご) ,平兼盛 (かねもり) ,清原元輔 (もとすけ) ,大中臣能宣 (よしのぶ) ら『後撰集』時代の歌人,藤原仲文,藤原高光,小大君 (こだいのきみ,こおおぎみ) ,源重之ら『拾遺集』時代の歌人から成る。歌仙意識はすでに『万葉集』の「山柿」や『古今集』の六歌仙などにみられ,こののちも「後六々撰」や「中古三十六歌仙」などが秀歌撰や撰歌合の形で数多く現れた。また,その肖像を描いた歌仙絵も生じ,文学史,美術史上の位置は大きい。

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改訂新版 世界大百科事典 「三十六歌仙」の意味・わかりやすい解説

三十六歌仙 (さんじゅうろっかせん)

藤原公任による歌合形式の秀歌撰《三十六人撰》にもとづく36人の代表歌人をいう。柿本人麻呂,紀貫之,凡河内躬恒(おおしこうちのみつね),伊勢,大伴家持,山部赤人,在原業平,僧正遍昭,素性法師,紀友則,猿丸大夫,小野小町,藤原兼輔,藤原朝忠,藤原敦忠,藤原高光,源公忠,壬生忠岑,斎宮女御,大中臣頼基,藤原敏行,源重之,源宗于(むねゆき),源信明,藤原清正(きよただ),源順,藤原興風,清原元輔,坂上是則,藤原元真(もとざね),小大君,藤原仲文,大中臣能宣,壬生忠見,平兼盛,中務(なかつかさ)である。藤原清輔の《袋草紙》に,具平親王と公任が人麻呂と貫之の優劣を議論したことに始まると見える。この議論が契機となって,公任によって過去の有名歌人の優劣を論じる《十五番歌合》が行われ,30人の歌を集めた《三十人撰》が制作され,《三十六人撰》が編集されるにいたった。《古今和歌集》の〈六歌仙〉の6倍という数が人々に喜ばれ,平安朝後期には,〈中古三十六歌仙〉〈女房三十六歌仙〉などが定められた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「三十六歌仙」の解説

三十六歌仙
さんじゅうろっかせん

藤原公任(きんとう)の「三十六人撰」に選ばれた歌人。柿本人麻呂・紀貫之(きのつらゆき)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・伊勢・大伴家持(やかもち)・山部赤人(やまべのあかひと)・在原業平(ありわらのなりひら)・僧正遍照(へんじょう)・素性(そせい)法師・紀友則(とものり)・猿丸大夫(さるまるだゆう)・小野小町・藤原兼輔(かねすけ)・同朝忠(あさただ)・同敦忠(あつただ)・同高光・源公忠(きんただ)・壬生忠岑(みぶのただみね)・斎宮女御(さいぐうのにょうご)(徽子(きし)女王)・大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)・藤原敏行・源重之・同宗于(むねゆき)・同信明(さねあきら)・藤原清正(きよただ)・源順(したごう)・藤原興風(おきかぜ)・清原元輔(もとすけ)・坂上是則(さかのうえのこれのり)・藤原元真(もとざね)・小大君(こおおぎみ)・藤原仲文(なかぶみ)・大中臣能宣(よしのぶ)・壬生忠見(ただみ)・平兼盛・中務(なかつかさ)の36人。「三十六人撰」は,公任と具平(ともひら)親王の間で行われた人麻呂と貫之の優劣論争が契機となって選ばれたといわれる。公任の歌人に対する評価がよく現れている。その後,これにならった各種の三十六歌仙がうまれた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「三十六歌仙」の解説

三十六歌仙
さんじゅうろっかせん

平安中期,藤原公任 (きんとう) が選んだ当代までの代表的歌人36人の総称
万葉歌人としては柿本人麻呂・山部赤人・大伴家持,六歌仙から小野小町・在原業平・僧正遍昭,古今歌人としては紀貫之・凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) ・伊勢・素性法師・紀友則・藤原兼輔 (かねすけ) ・壬生忠岑 (みぶのただみね) ・藤原敏行・源宗于 (むねゆき) ・藤原興風 (おきかぜ) ・坂上是則 (さかのうえのこれのり) ,後撰集歌人として平兼盛・中務 (なかつかさ) ・藤原朝忠・藤原敦忠・源公忠 (きんただ) ・斎宮女御・大中臣頼基・源信明 (さねあきら) ・藤原清正・源順 (したごう) ・清原元輔・藤原元真・大中臣能宣 (よしのぶ) ・壬生忠見,拾遺集歌人として藤原高光・小大君 (こおおぎみ) ・源重之・藤原仲文,および猿丸太夫の36人の歌人をいう。また平安中期の歌人36人を選んだものを中古三十六歌仙,鎌倉期の歌人を選んだものを新三十六歌仙という。

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とっさの日本語便利帳 「三十六歌仙」の解説

三十六歌仙

藤原公任が『三十六人撰』に名を挙げた歌人。▽柿本人麻呂、紀貫之、凡河内躬恒、伊勢、大伴家持、山部赤人、在原業平、僧正遍昭、素性法師、紀友則、猿丸大夫、小野小町、藤原兼輔、藤原朝忠、藤原敦忠、藤原高光、源公忠、壬生忠岑、斎宮女御、大中臣頼基、藤原敏行、源重之、源宗于、源信明、藤原仲文、大中臣能宣、壬生忠見、平兼盛、藤原清正、源順、藤原興風、清原元輔、坂上是則、藤原元真、小大君、中務

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世界大百科事典(旧版)内の三十六歌仙の言及

【歌仙絵】より

…歌仙の絵姿を描き,そこに詠歌や略伝を書き添えたもの。藤原公任撰出の三十六歌仙を描く作例が多い。平安時代の歌合の盛行は歌論の発達を促し,古今の優れた歌人に対する尊崇の念を強めた。…

※「三十六歌仙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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