源能有(読み)みなもとのよしあり

朝日日本歴史人物事典 「源能有」の解説

源能有

没年寛平9.6.8(897.7.11)
生年承和12(845)
平安前期の公卿。近院大臣と称される。正三位。文徳天皇の第1皇子で母は伴氏の娘。仁寿3(853)年,源氏姓を賜って臣籍に下った賜姓源氏。貞観14(872)年28歳で参議となり,寛平8(896)年右大臣に昇進。その間に検非違使別当,皇太子傅,左近衛大将兼務。中納言であった46歳のとき同年齢の菅原道真宅の竹を所望して移植したことが『菅家文草』にみえる。和歌をよくし,また宇多天皇の命を受け『三代実録』編纂の筆頭に据えられたが,同じ編纂にかかわった道真同様完成をみずに死去。死後正二位を追贈された。娘に清和天皇の女御となった厳子(温明殿女御),摂関藤原忠平の妻となり師輔を生んだ昭子がいる。邸宅は平安京左京にあった近院(松殿)。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源能有」の解説

源能有 みなもとの-よしあり

845-897 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
承和(じょうわ)12年生まれ。文徳(もんとく)天皇の皇子。母は伴氏。臣籍にはいり,源姓となる。貞観(じょうがん)14年(872)参議。寛平(かんぴょう)2年正三位,8年右大臣となり,東宮傅(ふ),左近衛(さこんえの)大将を兼任。「日本三代実録」編修の筆頭者だったが,完成前の寛平9年6月8日死去。53歳。贈正二位。近院(こんいん)大臣と称された。

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