デジタル大辞泉
「大江千里」の意味・読み・例文・類語
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おおえ‐の‐ちさと【大江千里】
- 平安前期の歌人。中古三十六歌仙の一人。音人の子。宇多天皇の勅命により「句題和歌」を撰。歌は「古今集」などにみえる。生没年未詳。
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大江千里
おおえのちさと
(850ころ―905ころ)
平安前期の歌人。参議従三位(じゅさんみ)音人(おとんど)の三男。父音人は阿保(あぼ)親王の落胤(らくいん)と考えられ、在原業平(ありわらのなりひら)・行平(ゆきひら)は千里の叔父にあたる。大江家は菅原(すがわら)家と並ぶ学問の家であり、彼自身大学学生(がくしょう)の出身であるが、千古(ちふる)(弟)や朝綱(あさつな)、維時(これとき)(甥(おい))に比して詩人としての評価は劣り、不遇な官途に甘んじた。903年(延喜3)兵部大丞(ひょうぶたいじょう)を極官とする。反面、「是貞親王家歌合(これさだのみこのいえのうたあわせ)」「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ)」に出詠し、宇多(うだ)帝からは古今の歌の類聚(るいじゅう)を委嘱されて『句題和歌』を献上するなど、歌人としての声望は高いものがあった。
月見ればちぢに物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
[渡辺秀夫]
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大江千里 (おおえのちさと)
平安前期の儒者,歌人。生没年不詳。父は大江音人(おとんど)(異説もある)。官は六位兵部大丞にいたる。《古今集》に10首入集。博覧で《貞観格式》の編者の一人。家集に,《白氏文集》の詩の一句を題にして詠んだ《大江千里集》(別名《句題和歌》)があり,一種の翻訳文学として注目される。〈文集嘉陵春夜の詩,不明不暗朧々月といへることをよみ侍りける 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく物ぞなき〉(《新古今集》巻一)。
執筆者:奥村 恒哉
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大江千里
生年:生没年不詳
平安時代の歌人,学者。大江音人の子。孫とする説もある。大学を出,延喜3(903)年兵部大丞に至ったが,一時罪を得て籠居するなど,官人としては不遇であった。家集『大江千里集』は『句題和歌』ともいい,寛平6(894)年,宇多天皇の勅命によって編集された。その内容の大部分は,白居易などの漢詩句を題とし,それを和歌に翻案した新趣向の試みで,後世さかんに作られる同種の句題和歌の先駆をなす。「不明不暗朧朧月」の一句を翻案した「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」の1首は特に有名である。『古今集』には10首が採られ,以下の勅撰集には15首が入集。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
大江千里 おおえの-ちさと
?-? 平安時代前期-中期の官吏,歌人。
大江音人(おとんど)の子。孫とする説もある。中古三十六歌仙のひとり。延喜(えんぎ)3年(903)兵部大丞(だいじょう)となる。「古今和歌集」以下の勅撰(ちょくせん)集に31首がえらばれている。家集に「大江千里集」。
【格言など】月見れば千々(ちぢ)に物こそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど(「小倉百人一首」)
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大江千里【おおえのちさと】
平安前期の儒者。生没年不詳。中古三十六歌仙の一人。大江音人(おとんど)の子(一説に孫)。官は897年に散位従六位,903年に兵部大丞に至った。《古今和歌集》に10首入集している。博覧で知られ,《貞観格式》の編者の一人でもある。著作に五言七言の漢詩句の翻案を中心とする《句題和歌》,一名《千里集》がある。897年の序を付し,全126首。うち題詠は116首で,末尾に詠懐歌10首を収める。
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大江千里
おおえのちさと
平安時代前期の歌人,文人。父は音人 (おとんど) 。宇多天皇時代の人で,六位兵部大丞にいたった。家集『大江千里集』は「句題和歌」と呼ばれ,大部分は『白氏文集』の詩句によった題詠から成る。『古今集』以下の勅撰集に約 25首入集。 (→大江氏 )
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大江 千里 (おおえ せんり)
生年月日:1960年9月6日
昭和時代;平成時代のミュージシャン;俳優
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