源頼親(読み)みなもとのよりちか

改訂新版 世界大百科事典 「源頼親」の意味・わかりやすい解説

源頼親 (みなもとのよりちか)

平安中期の武将生没年不詳。源満仲次男。母は兄頼光と同じ近江守源俊の娘とも,弟頼信と同じ陸奥守藤原致忠の娘ともいわれる。兄が摂津多田源氏を継いだのに対し,大和国豊島(てしま)郡に住して大和源氏の祖となった。1050年(永承5)興福寺の訴えにより土佐に配流(はいる)。保元の乱(1156)に藤原頼長の召に応じて平基盛に討たれた宇野親治はこの子孫。また大和越智(おち)氏は宇野氏の後裔とする説もある。
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朝日日本歴史人物事典 「源頼親」の解説

源頼親

生年:生没年不詳
平安中期の武将。源満仲の子で頼光(摂津源氏の祖),頼信(河内源氏の祖)は兄弟。清和源氏の一流大和源氏の祖。盗賊捜索などに従事し,「武勇人」「つはもの」として知られていた。数国の受領を歴任したが大和国守は3度におよび,大和国(奈良県)に勢力を扶植することになった。同国在任中,藤原氏の氏寺興福寺,同氏の氏社春日社,それに東大寺(いずれも奈良市)との間で土地をめぐる争いをしばしば起こしており,ことに3度目の大和守のとき子頼房が興福寺僧と合戦し,多くの死者を出したことで訴えられ,そのあおりで頼親は土佐国(高知県)に流されている。手荒な行動が多く,藤原道長に「殺人の上手なり」と評されている。<参考文献>朧谷寿「大和守源頼親伝」(『古代学』17の2)

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源頼親」の解説

源頼親 みなもとの-よりちか

?-? 平安時代中期の武人
源満仲の次男。淡路守(あわじのかみ),信濃(しなのの)守などのほか大和守を3度つとめた。大和源氏の祖。永承5年(1050)興福寺の僧徒と争闘して土佐へ流され,子の頼房は隠岐(おき)へ流された。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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