準部(読み)ジュンブ(その他表記)Zhun-bu; Chun-pu

デジタル大辞泉 「準部」の意味・読み・例文・類語

じゅん‐ぶ【準部】

ジュンガル

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精選版 日本国語大辞典 「準部」の意味・読み・例文・類語

じゅん‐ぶ【準部】

  1. ジュンガル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「準部」の意味・わかりやすい解説

準部
じゅんぶ
Zhun-bu; Chun-pu

中国,清朝の支配下に入った天山北路のジュンガリアをいう。ジュンガリアとはジュンガル (準 噶爾) 人の土地のことで,北方遊牧部族が伝統的にその集団を左・右翼部に分つ習慣を有していたが,ジュンガルはモンゴル語で左翼を意味する。元朝以来,この地域はオイラート族の支配地であったが,15世紀なかばにはエセン (也先)によりモンゴル全土の統一が行われ,明の英宗 (→正統帝 ) を捕虜にするなどオイラート部の活躍がみられた。さらに 17世紀にガルダン (噶爾丹)がオイラート諸部を統一して,いわゆるジュンガル帝国を形成,天山南部の回部にも侵入したが,ガルダン康煕帝の親征により敗走して病没した。そののちツェワン・アラプタン (策妄阿拉布坦)とその子ガルダン・ツェリンの時代 (18世紀前半) に最盛期を迎えたが,やがて内紛が生じ,乾隆 20 (1755) 年に清朝の攻撃を受け,同 23年に清朝の支配下に入った。清朝は準部,回部の2つの地域を新疆と名づけ,イリ (伊犂) 将軍を最高官とする統治が行われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「準部」の意味・わかりやすい解説

準部
じゅんぶ

ジュンガル

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「準部」の解説

準部(じゅんぶ)

ジュンガル

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世界大百科事典(旧版)内の準部の言及

【ジュンガル】より

…17世紀初から18世紀中葉の間,天山・アルタイ両山脈間のジュンガル盆地に分布したオイラート系の遊牧部族とその国家。この国家を清朝では準噶爾部あるいは略して準部と称した。17世紀初にオイラート族は少なくとも五つの部族から成る連合体で,ホシュート部族長が盟主の地位にあった。…

※「準部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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