エセン(読み)エセン(英語表記)Esen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エセン」の意味・わかりやすい解説

エセン(也先)
エセン
Esen

[生]?
[没]1454
中国,明代のオイラート (瓦剌)の部長。 1439年頃,父トゴン (脱歓)の死とともに太師淮王を継ぎ,東方ではウリヤンハン三衛,および満州の女直を征服し,西方では東チャガタイ・ハン国を攻め,カザフ人を討って北アジアを東西に連ねる大帝国をつくり上げた。 49年大挙して中国に侵入,居庸関外の土木堡で明の英宗皇帝を捕え,4日間北京を包囲した。 50年英宗を帰国させて明と和した。その後北元皇帝トクトア・ブハ (脱脱不花)と衝突して 52年1月 19日これを殺し,54年みずから即位して「大元天盛大可汗」と称し天元と建元したが,同年中に部下阿剌知院 (あらちいん) の反乱にあって敗れ,逃走中に殺された。ジュンガル王家のガルダン (噶爾丹)らはその子孫である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「エセン」の意味・わかりやすい解説

エセン
えせん
Esen
(?―1454)

15世紀モンゴルの覇者オイラートのチョロス部の指導者(在位1439~54)。父トゴンを継いで全モンゴルの実権を握り、東方では女真(じょしん)を、西方では東チャガタイ・ハン国を制圧し、ウズベクを撃破し、ほとんどチンギス・ハン時代のモンゴル帝国を再現した。中国、明(みん)朝とは朝貢使節の人数の制限問題で衝突し、1449年、四手に分かれて進攻し、土木堡(どぼくほ)において明軍を撃滅して英宗皇帝を捕虜とした(土木の変)。51年に名目上の北元皇帝トクトア・ブハ・ハンを殺し、53年自ら大元天聖大ハンの位に上ったが、翌年、部下の反乱で殺され、オイラート帝国は瓦解(がかい)した。その子孫がジュンガル部ガルダンである。

岡田英弘

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