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溝口直諒 みぞぐち なおあき

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美術人名辞典の解説

溝口直諒

新発田藩主。溝口直侯の嫡子。幼名は駒之助、字は益卿、号に健斎・景山・東籬等がある。佐久間象山に師事。従五位下伯耆守・信濃守・勅使接待役を務める。阿部求巴に就いて石州流の茶道を学び、狂歌にも長じた。安政5年(1858)歿、60才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

溝口直諒 みぞぐち-なおあき

1799-1858 江戸時代後期の大名。
寛政11年1月8日生まれ。溝口直侯(なおよし)の長男。享和2年(1802)越後(えちご)(新潟県)新発田(しばた)藩主溝口家10代となる。海防強化,藩学の振興に尽力。尊王・開国論をとなえ,「報国説」ほか時局についての著述がおおい。石州流伊佐派の茶人。安政5年6月18日死去。60歳。字(あざな)は益卿。号は健斎,景山など。
【格言など】一日,書を読まざれば,悶々の心生ず

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の溝口直諒の言及

【新発田藩】より

…越後国(新潟県)蒲原郡新発田に居城した外様の中藩。1598年(慶長3)溝口秀勝が加賀国大聖寺城から移され,蒲原郡において6万石を与えられて成立した。以来12代,274年間,大名の交代なく維新を迎えた。知行高は1610年(慶長15)沢海(そうみ)藩1万石を分立して5万石に減少したが,1860年(万延1)高直しで10万石となった。領内に広大な低湿荒蕪地を有したので治水と新田開発を奨励,そのため幕末の草高(くさだか)は20万石あるいは40万石と称された。…

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