滋野井跡(読み)しげのいあと

日本歴史地名大系 「滋野井跡」の解説

滋野井跡
しげのいあと

平安初期の儒者滋野貞主邸宅。「拾芥抄」に「中御門北、西洞院西」とあり、同東京図では勘解由小路かげゆこうじ南 油小路あぶらのこうじ東に方一町を占め、西大路町中央以南、東裏辻ひがしうらつじ町西、八幡やはた町・西裏辻町中央以東の地にあたる。

滋野貞主は勅撰詩集「経国集」の撰者で、古今漢籍を事物別に分類整理した「秘符略」を当地で編纂したという。その後、蹴鞠の達人成通が住して滋野井と称し、その子泰通以来子孫が伝領したという。「諸神記」(「山城名勝志」所引)に「中御門西洞院東頬滋野井小社三座是鞠神也ナリ(中略)一計案林 二春陽花 三樹尊 形猿額金色文字顔神名ハス 甲日以紀氏之、故年始ニハ件日」とあり、邸内に蹴鞠の神「精大明神」を祀っていた(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む