滋野井跡(読み)しげのいあと

日本歴史地名大系 「滋野井跡」の解説

滋野井跡
しげのいあと

平安初期の儒者滋野貞主邸宅。「拾芥抄」に「中御門北、西洞院西」とあり、同東京図では勘解由小路かげゆこうじ南 油小路あぶらのこうじ東に方一町を占め、西大路町中央以南、東裏辻ひがしうらつじ町西、八幡やはた町・西裏辻町中央以東の地にあたる。

滋野貞主は勅撰詩集「経国集」の撰者で、古今漢籍を事物別に分類整理した「秘符略」を当地で編纂したという。その後、蹴鞠の達人成通が住して滋野井と称し、その子泰通以来子孫が伝領したという。「諸神記」(「山城名勝志」所引)に「中御門西洞院東頬滋野井小社三座是鞠神也ナリ(中略)一計案林 二春陽花 三樹尊 形猿額金色文字顔神名ハス 甲日以紀氏之、故年始ニハ件日」とあり、邸内に蹴鞠の神「精大明神」を祀っていた(坊目誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む