日本大百科全書(ニッポニカ) 「潮田千勢子」の意味・わかりやすい解説
潮田千勢子
うしおだちせこ
(1844―1903)
社会運動家。信州(長野県)飯田(いいだ)藩侍医丸山龍眠(りゅうみん)の次女として江戸藩邸で生まれる。1865年(慶応1)同藩の潮田健次郎と結婚、3男2女をもうけた。1882年(明治15)キリスト教に受洗。1883年夫健次郎に死別し、翌1884年子女とともに上京。桜井女学校附属保母科および横浜聖純女学校を卒業し、幼児保育や伝道師として活躍。1886年東京婦人矯風会設立に参与。公娼(こうしょう)制廃止、女子授産場を開設するなど社会事業に尽くし、1897年東京婦人矯風会の会頭となる。足尾銅山鉱毒問題が起こると、1901年(明治34)鉱毒地救済婦人会を組織し、晩年は救済活動に没頭した。
[吉見周子]
『五味百合子編『続 社会事業に生きた女性たち』(1980・ドメス出版)』