澄川久(読み)スミカワ ヒサシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「澄川久」の解説

澄川 久
スミカワ ヒサシ


職業
ボードビリアン 腹話術声楽家

専門
バリトン

本名
村井 武雄

生年月日
明治31年 12月15日

出身地
東京

学歴
慶応義塾大学〔大正13年〕卒

経歴
小山内薫の招きで築地小劇場に入り、日劇専属歌手として終戦まで歌う。この間、昭和12年頃米国のエドガーバーゲンの指導書出会い、国内初の腹話術師となり、戦中は“チャッカリ坊や”の人形を携えて日劇ダンシングチームと共に中国各地を慰問。35年にはパリムーラン・ルージュで公演。また60歳を過ぎてから絵を描き始め、62年米寿を記念して個展を開いた。平成4年32年ぶりに腹話術を披露した。

受賞
音コン声楽部門最優秀賞(第1回)〔昭和7年〕

没年月日
平成12年 4月3日 (2000年)

家族
二男=村井 靖児(国立音楽大学教授),三男=村井 祐児(クラリネット奏者・東京芸大教授)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「澄川久」の解説

澄川 久
スミカワ ヒサシ

昭和・平成期の腹話術師,ボードビリアン,元・声楽家(バリトン)



生年
明治31(1898)年12月15日

没年
平成12(2000)年4月3日

出身地
東京

本名
村井 武雄

学歴〔年〕
慶応義塾大学〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
音コン声楽部門最優秀賞(第1回)〔昭和7年〕

経歴
小山内薫の招きで築地小劇場に入り、日劇専属歌手として終戦まで歌う。この間、昭和12年頃米国のエドガー・バーゲンの指導書出会い、国内初の腹話術師となり、戦中は“チャッカリ坊や”の人形を携えて日劇ダンシングチームと共に中国各地を慰問。35年にはパリのムーラン・ルージュで公演。また60歳を過ぎてから絵を描き始め、62年米寿を記念して個展を開いた。平成4年32年ぶりに腹話術を披露した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「澄川久」の解説

澄川久 すみかわ-ひさし

1898-2000 昭和-平成時代のバリトン歌手,ボードビリアン。
明治31年12月15日生まれ。慶大卒業後,声楽をまなび,昭和7年第1回音楽コンクール声楽部門で最優秀賞。田谷力三とともに東京日劇で活躍。13年ごろ日本ではじめて腹話術を演じる。戦後パリのムーラン-ルージュにも出演した。平成12年4月3日死去。101歳。東京出身。本名は村井武雄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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