濡田廃寺跡(読み)ぬれたはいじあと

日本歴史地名大系 「濡田廃寺跡」の解説

濡田廃寺跡
ぬれたはいじあと

[現在地名]柳井市大字新庄 濡田

大平おおひら山の南山麓にあり、小字名をとって濡田廃寺跡というが、正式の寺名は不明。

明治三四年(一九〇一)頃発見され、鎮守堂を建てて出土品を祀っていたが、出土品は現在は個人蔵。付近の水田から柱の心礎も発見されたという。濡田周辺からは多数の古式の布目瓦を出土。付近の字安行やすゆきからこの瓦を焼いたと思われる窯跡が発見されたが、山崩れで流失し現存しない。奈良時代末期頃建立された寺と推定される。

出土品は和同開珎一二枚、多角形有孔の無文銅銭一〇〇余枚、多角形の無文銅銭一〇余枚、四角形無文銅銭二〇〇余枚、長方形に近いもの一〇余枚、同じく銅鋺破片のごときもの六枚、ほかに金具片数枚で、発掘当時はそれらが八個の素焼製丸底壺に分蔵されていたが、現存の壺は四個である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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