瀬々串村
せせくしむら
中名村の北に位置し、東は海に臨む。水無川・浜田川河口付近に集落を形成している。瀬々串の地名は海岸線が岩浜で小さな入江が連なって櫛の歯状であったことに由来するといわれ、古くは鹿児島湾岸の良港であった。百図考(県立図書館蔵)に「瀬々串浦は喜入浜なり、清砂浄ふして洗ふが如く、峯巒州嶼・遠近濃淡・分明画図の中に観るが如くなれば瀬々奇と名づく」とある。本来は喜入郷上之村(上村・上名)のうちとして把握されるが、寛永(一六二四―四四)末年頃に北部が瀬々串村として分村した(喜入肝付家文書)。「三州御治世要覧」に村名がみえるが石高は記載されず、「右瀬々串村、大高払ニ無之、郷村帳ニ不見得」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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