瀬戸山城跡
せとやまじようあと
[現在地名]赤来町下赤名
赤名町上市の東方瀬戸山(六〇〇メートル)にあり、衣掛山城・藤釣城などとも称した。一四世紀後半に佐波備中守常連が赤穴庄の地頭職に補されて赤穴氏を名乗り、築城に着手したと伝えられる。臨時的築城でないことは石垣・石階からみても明らかである。戦国時代には出雲南部随一の堅城とうたわれ、月山城(現広瀬町)の支城として出雲・石見・備後の境界防衛の城としてきわめて重要な位置を占め、とくに天文(一五三二―五五)・永禄(一五五八―七〇)両度の合戦においてこの城の果した役割は大きい。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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