改訂新版 世界大百科事典 「火焙」の意味・わかりやすい解説
火焙 (ひあぶり)
火罪(かざい),火刑,焚刑(ふんけい)ともいい,罪人を焼き殺す刑罰。前近代には世界の各地で行われ,とくにヨーロッパにおいて異端,魔女など宗教上の犯罪に科せられた歴史は名高い。日本では,中国の律を継受したこともあって,久しく絶えていたが,戦国時代に復活し,江戸時代初期にはキリシタン弾圧に多用された。のち,もっぱら放火犯に対する刑罰となり,幕府の《公事方御定書(くじかたおさだめがき)》は,付火(つけび)した者,および人に頼んで付火させた者にのみ火罪を科した。罪囚はまず引廻しに付され,江戸ならば小塚原(こづかつぱら)または鈴ヶ森の刑場に至る。刑場には高さ2mほど,15cm角の火罪木が立てられており,これに罪囚を縛って,その周囲は茅と薪とで覆いつくす。検使を務める町奉行与力の命令で点火され,罪囚は炎に包まれる。焼死した様子を見計らい,燃え残りのものを引き払って,とどめに茅束で鼻を焼き,また男の場合は陰囊を,女であれば乳房を焼く。刑屍はそのまま3日2夜晒(さら)し置いたのち,取り捨てられた。明治新政府の1868年(明治1)の仮刑律にはなお焚刑が維持されていたが,同年11月の太政官達は各府藩県に火刑の廃止を命じた。
執筆者:加藤 英明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報