日本歴史地名大系 「灰屋村」の解説
灰屋村
はいやむら
黒田三ヵ村の分家層が、山林の管理や労務に従事するため山中に入って住みついたといわれ、村の成立は中世末期頃と推定される。灰屋村には中世以来黒田三ヵ村の惣山が四ヵ所存在したが、そのなかの一つ
文禄五年(一五九六)の太閤検地で村高二二・九七九石と定められた。その後幕府領となり京都代官所の支配を受け、幕末には丹波篠山藩領となる。元和四年(一六一八)の黒田村年貢割付状(菅河誠家文書)によると年貢は黒田六ヵ村共同で納めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報