無保(読み)くしなしほ

日本歴史地名大系 「無保」の解説

無保
くしなしほ

和名抄那珂なか櫛无くしなし郷の郷名を継ぐ。現琴平町上櫛梨かみくしなし・下櫛梨、善通寺市櫛梨町を遺称地とし、一帯に比定される。京都法勝ほつしよう寺領。承暦元年(一〇七七)白河天皇が御願寺として法勝寺を建立した際に寄せられた封戸の便補保となったものと推定されているが、確証はない。「愚管記」永和元年(一三七五)四月一一日条に、当保について法華堂公文実祐と禅衆との間に相論があったことが記され、南北朝末期まで同寺の支配が続いていたことが認められる。貞応三年(一二二四)九月七日、藤原忠義(島津忠時)が関東下知状(島津家文書、以下同文書省略)によって櫛無保地頭職に補任されている。これは承久の乱の勲功によるものであろう。文永四年(一二六七)一二月三日の忠時譲状で保内光成名給米一〇〇石が一期ののち嫡子修理亮久経に渡す条件で後家に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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