近世槍術(そうじゅつ)の一流派。大内流ともいう。流祖は出羽(でわ)国横手(よこて)(現秋田県横手市)の人、大内無辺(生没年不詳)。無辺は壮年より槍術を好み、平鹿(ひらが)の真人山(まひとやま)(秋田県横手市)に祈念して槍術の神妙を開悟したといい、その子上右衛門、孫清右衛門とよくその業を継ぎ、清右衛門の門人椎名靭負佐(しいなゆきえのすけ)は大坂夏の陣に従軍して功名をたて、その門人小泉七左衛門吉久は大坂に住み無辺流を広めた。一方、無辺の甥(おい)山本刑部(ぎょうぶ)宗茂(むねしげ)は、越後(えちご)国(新潟県)村松(むらまつ)から江戸に出て山本無辺流を唱えたが、その孫加兵衛久茂(かへえひさしげ)は名手の聞こえ高く、1637年(寛永14)柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の別邸においてその妙技を将軍家光(いえみつ)の台覧に供したのをはじめ、しばしば台覧の栄を受け、1667年(寛文7)には男久明(ひさあきら)・久玄(ひさはる)を伴って将軍家綱(いえつな)の台覧を賜り、同年12月ついに御家人(ごけにん)に登用され、廩米(くらまい)200俵を給せられた。このほか羽州鶴岡(つるおか)の田村八右衛門秋義(あきよし)を祖とする無辺無極(むへんむきょく)流など、幾多の分流が全国に広がりをみせた。
[渡邉一郎]
…江戸時代になると,槍は武士のもつ武具として,またたしなむべき武術として非常に重要な位置を占めるようになり,腰の二刀とともに武士階級を象徴するようになった。流派も数多く出現するが,素槍では,大内無辺の無辺流,竹内藤一郎の竹内流,中山源兵衛吉成の風伝流など,鎌槍では,奈良宝蔵院の僧胤栄の宝蔵院流(これは高田派,中村派,礒野派などに分派する),鍵槍では,内海六郎右衛門重次の内海流,佐分利猪之助重隆の佐分利流,管槍は,伊東紀伊守祐忠の伊東流,小笠原内記貞春の日本覚天流,津田権之丞信之の貫流などがおもな流派である。江戸時代初期にほぼ完成をみた槍術は,中期から後期にかけて技や理論もくふう研究され,とくに練習法の進歩はめざましく,双方が防具を着けて仕合稽古を行うようになった。…
※「無辺流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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