焼津郷
やいづごう
「古事記」景行天皇段にみえる焼遣、「日本書紀」景行四〇年是歳条にみえる焼津の名称を継承するとみられる中世の郷で、現焼津辺りに比定される。「日本書紀」によると、天皇の命により駿河国(「古事記」では相武国)に至った日本武尊は尊を欺いた賊衆を焼滅ぼしたとされ、その地を焼津と名付けたという。焼津は和歌にも詠込まれ、「万葉集」巻三に「春日蔵首老の歌一首」として「焼津辺にわが行きしかば駿河なる阿倍の市道に逢ひし児らはも」が収載されているが、焼津と阿倍の市(現静岡市)との関係の一端がうかがえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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