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今川仮名目録 いまがわかなもくろく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

今川仮名目録
いまがわかなもくろく

戦国大名今川氏親大永6 (1526) 年領内に発布した法令。 32条本,33条本がある。 32条本は前年の同5年に発布されたもので,33条本の母型ともみられるが,詳細は不明。氏親の子義元が天文 22 (53) 年に制定した『仮名目録追加』 21条とあわせて総称される。田畑争いや家臣間の争いについての裁判規定が中心で,東国地方における戦国大名の発布した法令としては最古のもの。『中世法制史料集』『史籍集覧』『続群書類従所収

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デジタル大辞泉の解説

いまがわ‐かなもくろく〔いまがは‐〕【今川仮名目録】

戦国大名今川氏の家法。大永6年(1526)今川氏親(うじちか)が制定した「仮名目録」33か条と、天文22年(1553)その子義元が制定した「仮名目録追加」21か条を合わせていう。東国最古の分国法

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百科事典マイペディアの解説

今川仮名目録【いまがわかなもくろく】

今川氏の分国法。1526年今川氏親制定の《仮名目録》33条(31条もある)と,1553年子の義元の《仮名目録追加》21条よりなる。東国における分国法の最古のもの。
→関連項目今川義元甲州法度之次第

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世界大百科事典 第2版の解説

いまがわかなもくろく【今川仮名目録】

戦国大名今川氏の制定した分国法。守護から戦国大名への脱皮に成功した今川氏親が1526年(大永6)制定した《仮名目録》と,氏親の子義元が53年(天文22)制定した《仮名目録追加》から成る。条数は前者は33ヵ条(今川記本)と31ヵ条(黒川本)のものが伝存するが,後者は21ヵ条から成る。仮名目録は,東国最古の分国法であり,隣国の武田氏の分国法《甲州法度之次第》がこれを参考にしてつくられたことからもその影響力が大きかったことが知られる。

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大辞林 第三版の解説

いまがわかなもくろく【今川仮名目録】

戦国大名今川氏の分国法。1526年氏親の制定した三三条の法度と、1553年その子義元が追加した二一条の法度の総称。代表的な戦国家法の一。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

今川仮名目録
いまがわかなもくろく

戦国大名今川氏の領国支配の基本法典。1526年(大永6)氏親(うじちか)制定の33条と、その子義元(よしもと)が1553年(天文22)に制定した追加21条をあわせていう。前者は、地頭(領主)と本・新名主(みょうしゅ)(百姓)の関係、境界相論、喧嘩(けんか)・盗賊の取締、所領売買制限、借米銭の利子率、宗論・私婚の禁止などを規定。後者は、家臣の被官関係、不入権、相続および裁判手続などを規定しているが、条文中とくにこの制法が室町幕府権力を背景とせず、今川氏自身の力量による制定・発効を強調し明示している点が注目される。なお本法典は武田氏の甲州法度(はっと)にも影響を与えた。写本は今川記本と黒川本が伝来。黒川本には義元制定という13条の訴訟条目が付されている。『続群書類従』、『中世法制史料集』(第3巻)所収。[久保田昌希]

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世界大百科事典内の今川仮名目録の言及

【今川氏親】より

…その後14年には引馬(ひくま)城に斯波義達を破って尾張に放逐し,遠江を完全に掌握した。内政面では,20年,24年(大永4)遠江で検地を実施し,死の直前26年には本格的な分国法《今川仮名目録》を制定するなど,領国支配の安定化と家臣団の統制に努め,駿遠両国の戦国大名へと今川氏が発展する基礎を築いた。晩年には中風を患って病死。…

※「今川仮名目録」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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