日本歴史地名大系 「熊見村」の解説 熊見村くまみむら 兵庫県:姫路市旧揖保郡地区熊見村[現在地名]姫路市勝原区熊見(かつはらくくまみ)・広畑区京見町(ひろはたくきようみちよう)飾西(しきさい)郡則直(のりなお)村の西に位置し、揖東(いつとう)郡に属する。汐入(しおいり)川上流域に立地し、北は京見山(二一六・一メートル)を境に太田原(おおだはら)村(現太子町)など、西は山戸(やまと)村、南は西土井(にしどい)村。中世には福井(ふくい)庄に含まれた。文明一九年(一四八七)四月二五日の福井庄名主・百姓等請文(吉川家文書)によれば、同年三月の書写坂本(さかもと)における赤松氏と山名氏の合戦の際、熊見村の九郎兵衛らは赤松方の福井庄東保地頭吉川氏から松原(まつばら)陣などへの出陣を免除された。長享元年(一四八七)と推定される福井庄村名注文(同文書)に福井庄二八ヵ村の一として熊見村がみえる。大永年中(一五二一―二八)の惣社(現射楯兵主神社)走馬神事に熊見居住の荒山大隅が参加している(「惣社走馬之記」智恵袋)。 熊見村くまみむら 島根県:邑智郡邑智町熊見村[現在地名]邑智町熊見西流する沢谷(さわだに)川南岸に位置し、対岸は石原(いしはら)村・千原(ちはら)村。正保国絵図に村名がみえ、高一三三石余。元禄一〇年(一六九七)の石見銀山領村々覚によれば田方一〇四石余・畑方二八石余、年貢高は米六五石余・銀二三四匁余、小物成は山手役七匁、家数は本家二六・門屋七、人数一四四、真宗西蓮(さいれん)寺(現浄土真宗本願寺派)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by