熊谷幸之輔(読み)クマガイ コウノスケ

20世紀日本人名事典 「熊谷幸之輔」の解説

熊谷 幸之輔
クマガイ コウノスケ

明治・大正期の医師,教育者 愛知病院院長。



生年
安政4年(1857年)

没年
大正12(1923)年4月28日

出生地
出羽仙北郡六郷(秋田県)

学歴〔年〕
東京大学医科〔明治14年〕卒

経歴
明治14年愛知医学校(現・名古屋大学医学部)外科医長となり、のち校長、愛知病院院長を歴任北川乙治郎と交互に名古屋医会会長も務めた。森鷗外・賀古鶴所らと東京大学の同窓で、終生博士論文を申請しなかったが、日本外科医学の重鎮として博士以上の名声人望があり、また愛知医科大学の基礎を築いて医学界に大きく貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊谷幸之輔」の解説

熊谷幸之輔 くまがい-こうのすけ

1857-1923 明治-大正時代の医師,教育者。
安政4年生まれ。明治14年愛知医学校(現名大医学部)外科医長となり,同学校長,愛知病院長を歴任。北川乙治郎(おとじろう)と交互に名古屋医会会長もつとめた。大正12年4月28日死去。67歳。出羽(でわ)仙北郡(秋田県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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